米工は平成19年5月25日で、創立85周年を迎えました。

創設

 今を去る35年の昔即ち大正12年4月、鳥取県下唯一の工業学校として新設開校したのではあるが、その5年前から、やがて市制をしこうとする潜勢力豊かな、新興の意気旺盛な地元米子町有志の物心両面にわたる工業学校誘致の熱情が動いて、大正8年12月13日通常県会に「県立工業学校設置に関する件」を意見書として提出し、議案となり、次いで大正9年12月18日「米子町に県立工業学校設置に関する件」を更に意見書として提出し、これも亦議案となった。此の意見書は再度採択可決され、大正10年3月県会に於いて内相宛、知事宛の意見書を可決提出したのであったが、他の学校建設に対する県内情勢の不統一のため、11年度から国庫補助は得られなかった。しかし大正8年・9年再度通常県会に於いて設立の意見書を可決している米子工業学校だけは大正11年度県費予算に、臨時部教育費と寄付金6万5千円とを合計して、12万円余を計上したのである。
 これは米子町側から所要経費32万円の内、設置場所を決定して寄付金14万円を申し出でていたからである。こうして大正11年6月鳥取県立工業学校が設立認可となり、設立工事に着手した。
 大正11年10月初代校長竹下俊夫氏着任し、西伯郡長浅沼喜雄氏と図って、11月書記足立重孝氏を採用し、足立書記は1ヶ月間鳥取に駐在して、開設事務を考究し、12月に米子高等女学校(現米子西高)の玄関右側の看護室を借用して、校舎建築中の県立工業学校の開校事務を開始し、設備費35万円を目当てとして、4ヶ年計画で仕事を始めた。建築順序は本館、寄宿舎、第1実習工場(製図・木型・鋳物・鍛冶)、応用化学科実習室、第2実習工場(機械・仕上・電気)、その他付属建物とした。校地8、527坪は10数番地に分かれている内から正門(旧正門)に近い博労町4丁目220番地をとって、校地番地と決定した。
 大正12年3月本館は竣工し、4月開校となった。

(米工35年史より抜粋)