西高資料紹介

鳥取西高に数多くある資料をHP上に順次掲載します。

資料紹介は昭和40年本校卒業生、田村達也さん(NPO市民文化財ネットワーク鳥取副理事長)です。

1.第三校舎建設時出土お城瓦

 

 第三校舎建設の時に出土したお城の瓦である。コンクリートの校舎にするため掘りおこしがあり、その時に出土した瓦である。この瓦は軒丸瓦であり、あげは蝶の紋が入っている。あげは紋は池田家の家紋である。第三校舎は家庭科があった校舎であり、かつて鳥取高等女学校の校舎があったところでもある。それ以前は藩政時代の建物があった。池田家の施設だからあげは紋をほどこした瓦が使われた。

2.尚徳館所蔵蔵書


 尚徳館所蔵洋書。リプトン著述の世界地理書である。幕末期から明治初期にかけて藩は洋楽を奨励するが、洋学のテキストがなかった。そのため尚徳館が所蔵してきた和漢籍を売却し、そのお金で洋書を購入した。この地理書はその時に購入した洋書である。尚徳館の蔵書印とともに「蕃書調所」の印が押印してある。「蕃書調所」は幕末の施設であるから、幕末から尚徳館に来たもので、めずらしい流路である。

3.生徒学籍簿


 生徒学籍簿。これは参号であり、これ以前に一号と二号がある。ともに鳥取中学時代の最も古い資料である。明治6年に本校は発足したが、明治33年に火災にあったため、それ以前の資料はことごとく焼失した。明治32年に米子に第二中学校が建てられたので、鳥取中学校は第一中学校と称するようになった。

4.卒業生状況


 卒業生状況1号~3号、鳥取中学卒業生の追跡調査記録である。明治22年が第1回の卒業生となっている。明治22年に現在の地に新校舎を建てここに移転してきた。それ以前は鳥取師範学校と同じ地にあった。鳥取師範学校は鳥取大学の前身であり、現在の県立図書館のある地にあった。かつて藩校尚徳館のあったところである。本校が尚徳館の流れをくむゆえんである。

5.樺正董著『幾何学教科書』


樺正董著『幾何学教科書』(東京三省堂)
 樺正董は本県出身の数学・教育学者であり、数学関係の教科書を多数著している。本校には多数の古い教科書が所蔵されているが、樺正董の数学教科書も数冊ある。かつては全国的に広く樺正董の教科書は使用された。これは明治39年の教科書である。

6.改訂女子動物学新教科書


改訂女子動物学新教科書
 大正14年の教科書。鳥取高等女学校で使用された動物学の教科書。他に植物学、鉱物学の教科書がある。理科はいくつかの教科に分かれて履修されていた。ちなみに小学校尋常科に理科が入ってくるのは大正時代になってからである。

7.現代作法書 全


現代作法書 全
 昭和6年の教科書である。作法は学校教育の中でとりいれられ指導された。立居振舞、お茶、お花などを体系づけたもので、特に女学校では重視され、学芸会では教師をお茶の席に招いて、成果を発表した。

8.生徒作成鳥取市街地図(1)


生徒作成鳥取市街地図(1)
 明治40年頃作成。明治40年頃は生徒たちの元気がよく、ストライキや教師をたずねて議論することがみられた。静逸をとりもどすために学区を決めて行動するために作成した地図ではないかと思われる。しかし当時の市内の道路、施設が記されており、町の歴史資料として貴重な事柄を知ることができる。

9.生徒作成鳥取市街地図(2)


生徒作成鳥取市街地図(2)
 鳥取駅が田んぼの中にあったこと、大黒座のことなどが知られる。

10.生徒作成鳥取市街地図(3)



生徒作成鳥取市街地図(3)
 醇風小学校が薬研堀にはさまれた所に立地していたこと、鹿野街道が現在のようにまっすぐでないことがわかる。

11.生徒作成満州地図


生徒作成満州地図
 大正4年頃の生徒、北浦保憲作成の満州の地図である。手書きで精密に描かれている。生徒作成の作品のよいものは軸装にして保存し、教材として利用された。北浦保憲は書道作品も軸装されたものがある。これは大正4年のものである。

12.大正時代生徒作品


大正時代生徒作品
 大正4年鳥取中学3年山本鐵太郎氏(大正7年卒)の作品である。山本氏は他の作品も残っている。後のロゴスの主人であるが、達者な筆遣いに文化的方面に進んでゆくきざしがすでに見られよう。

13.昭和13年生徒作品


昭和13年生徒作品
 飯田實氏四年生の時の作品。鹿野加知弥神社の人である。彼は戦死するが、残されている書道作品の作者の中には戦死した人たちの作品がいくつかある。遺作となった作品群である。

14.生徒作品


生徒作品
 昭和16年壹岐哲彌氏の作品。壹岐氏は元本校職員。壹岐氏には他にも一点作品がある。

15.校友会雑誌第5号


校友会雑誌第5号
 明治32年鳥取尋常中学校(本校の旧称)の校友会誌である。明治33年に『鳥城』が発刊されるからその直前の雑誌となる。明治33年に本校は焼失する。それを考えると前校舎時代の校友誌として価値がある。1号から4号までは残っていない。今後の出現に期待したい。

16.『鳥城』創刊号


『鳥城』創刊号
 鳥取県第一中学校々友会誌の創刊号である。学校の名称は鳥取尋常中学校から第一中学校にかわった。それを画期として校友会誌も名称変更した。昭和14年(60号)で中断するが、それまでは欠かすことなく刊行された。教師、生徒はもとより、活躍する卒業生の寄稿もある。当時のことを知ることのできる貴重な資料である。戦後は本校の教師たちにより、教育研究誌『教育研究』が刊行されていく。