子供の成長を信じる
2025年9月30日 16時52分「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし」とはよく言ったもので、日が暮れるのが早くなり今宵も元気になく虫の声が聞こえます。日に日に、朝晩が涼しくなりました。
「子供の成長を信じる」、これは無条件に子供を信じることであり、親はもちろん子供の成長にかかわる大人と子供の信頼関係で成り立ちます。とは言いましても、なかなか子供を信じ切るというのは難しいものです。「こうあるべきだ」「心配だ」という思いから、失敗しないようにとつい先回りをして手をかけ過ぎたり、心配するあまり「本当に大丈夫か」と結果として不安をあおってしまったりすることは、よくあることです。子供にとっては、信じて見守ってくれることが何よりも心強くうれしいもので、安心してがんばる気持ちも沸いてきます。子供は大人に比べて経験値が低いので、大人が思うようにできないことや失敗するのは当然で、大人が期待するような結果を出してくれるとは限りません。しかしながら、子供は思うようにできなかったことや失敗からも、多くのことを学び経験を積んでいるのです。大切なのは、「そうだよね。」「すごいね」「そうなんだ」という子供の視点を理解しつつ、心持ちを理解しつつ、子供の気持ちに寄り添うことです。人は誰でも自分のがんばりや自分の存在価値を認められたいものです。
夏休み中のことになりますが、日韓子ども交流30周年記念事業で韓国横城(フェンソン)郡を八頭町の子供10名と訪問して、韓国の子供たちと交流しました。八頭町の子供たちにとっては、韓国文化や韓国語に触れる貴重な機会となりました。交流に向けて事前研修を重ねましたが、あいさつや自己紹介を韓国語で言ったり交流会で歌う歌を韓国語で歌ったりするのはなかなか難しかったようです。交流が始まり韓国の子供たちと過ごす中で、みるみるコミュニケーションをとることができるようになりました。覚えたての韓国語でしっかりとあいさつや会話ができたこと、韓国語で交流事業合唱曲「半月」を途中詰まりながらも一生懸命歌うことができました。活動を通じて、しっかりと心と心が通い合う真の交流になりました。交流が始まるまでの私の心配は、杞憂に過ぎませんでした。この交流で改めて考えたことは、「子供を信じ切る」ことの大切さです。また、この交流の歴史も八頭町と横城郡が互いを信じ合ってきたからこそ、30年間もの長きに渡り続いているのだと思いました。
信ずることと考えること
信ずるということは責任をとるということ、間違えることも当然あるが、責任をとるということ。~ 一部省略 ~ 「考える」は「(か)んかえる」=「身をもって相手と交わる」ということ。対象を観察するということだけではなく、相手と付き合うということ、相手の身になってみる。想像する。そう考えると「信ずる」ということと「考える」ということが近くなってくる。
文芸評論家 小林秀雄 昭和49年講演「信ずることと考えること」より
「育児は育自」、子供を育てるということは同時に自分自身も育ててくれるもの。いろいろ大変なこともありますが、子供と一緒にもっともっと自分磨きができたらいいですね。