10月9日水曜日
今日は朝から快晴で、県の8人グループと一緒にバーリントン市内から車で1時間ほどの郊外で四つの研修をしました。
1.ゴールデンラセット農場でタマネギやカボチャなどの有機栽培の見学
2.ショーハム郡の役場で人口が少ない過疎地域医療を担当している方との懇談
3.シャンプレーン果樹園でリンゴ栽培方法や品種に関してのレクチャー
4.石灰岩採掘場でバーモントの地質的地学的な研修
どの研修もSTEMの観点と地域課題の観点が絡んでいて非常に興味深く、課題研究でテーマにしている生徒を中心に積極的に質問していました。


10月8日火曜日
今日はキーピングトラックというフィールド研修の日でした。生態学者のスーザン先生の案内のもと、一日中バーモントの森の中を歩きました。朝の気温が7℃と冷えたので始めは寒そうな顔もありましたが、歩いたり焚き火に当たったりして体が温まってくると笑い声も出るようになりました。ウエスタンヘムロック(アメリカツガ)やイエローバーチ(カバノキの仲間)等日本ではあまり見かけない樹木の遷移、小型サンショウウオ調査、ボブキャットの住処の話、アメリカクロクマの気持ちになって木へのマーキング練習など五感をフルに使った研修になりました。



令和7年度、第45回近畿高等学校総合文化祭鳥取大会が開催されます。その大会テーマ標語を鳥取県教育委員会が募集し、本校の多くの生徒が応募しました。応募総数143点の中で、最優秀賞、優秀賞を受賞することができました。
最優秀賞 2-2 藤田きらり
「届け星空(そら)へ 輝く文化を繋いだ流れ星」
優秀賞 1-6 寺垣穂乃花
「一人一人の想いをのせて輝(ひか)れ青春の華々よ」
応募された標語を、高等学校課・総合開会行事委員会委員で一次審査を行い、生徒実行委員会委員が二次審査を行いました。
藤田さんの標語は、今後様々なところに掲げられたり、印刷されたりしますので、ぜひご覧ください。
各ホームステイ先でハロウィンの準備をしたりフットボールを観戦したりして週末を過ごして、今日から本格的に活動が始まりました。
今日はエセックス高校でSTEMアカデミーというクラスで各自の課題研究の内容を発表したり、様々な授業に参加しました。日本語のクラスでは日本の高校生の普段の様子や鳥取のことを質問されて、一生懸命に答えて和やかに話をしている様子が見られました。



朝6時過ぎに鳥取空港に集合し、羽田空港、ニューヨークのリバティ空港を経由してバーリントンに同じ金曜日の夜7時過ぎに到着しました。空港では各ホストファミリーが出迎えに来ていて、笑顔で対面して13日間の研修が始まりました。



10月に実施するSSHバーモント研修の説明会を開催しました。校内で選抜された6名の生徒と保護者に向けて、國岡校長、中村企画部長、引率の林教諭、矢澤教諭で行いました。
この研修はSSH事業の目玉でもあり、多くの生徒が参加を希望する事業です。数多くの経験をして、びっくりするくらいの成長を遂げてもらいたいと期待しています!


本校英語科・松田教諭がGlobal Teacher Prize 2023Finalistに選ばれたことから、鳥取県教育委員会小中学校課主催による標記授業研究会が開催されました。
松田教諭の授業実践を通じて、中学校英語担当教員等の指導力向上を目的に開催したものです。県内中学校英語科教員が24名、指導主事が5名の参加となり、大変盛況でした。
2年5組を生徒役として、松田教諭が示範授業を行い、のちに研究協議が行われました。


鳥取城の遺跡の上に立つ日本でも希有な高校として、鳥取城のことを深く知ることを目的に、1年生を対象に城跡セミナーを開催しました。
鳥取市教育委員会文化財専門員 細田隆博氏を講師に迎え、「遺された物から探る鳥取城の歴史 ~鳥取西高が立地する鳥取城の魅力や価値を知ろう~」と題して行いました。
細田講師からは、藩校を由来とする現在の鳥取西高の開校から移転までの経緯、戦国時代?江戸時代の鳥取城の役割やそれに纏わる人々、鳥取西高が藩政の中枢である三ノ丸にあったこと、鳥取城跡の整備・復元の様相など、詳しく知る機会となりました。
その他、戦国時代、織田信長に「日本にかくれなき名城」と称えられたことや、遺跡発掘の様子、城郭復元橋として日本最長の擬宝珠橋は日本初の工法で復元し、橋梁分野における最高賞である土木学会田中賞を受賞したこと、令和7年春完成予定の中ノ御門(大手門)の現在の復元の様子を写真で紹介されました。
毎年行っていたセミナーですが、新型コロナウイルス対策として近年開催できていませんでしたが、久しぶりの開催となりました。生徒たちも、普段自分たちが通っている学校の価値や魅力を存分に意識できた1時間となりました。
【生徒の感想】
・鳥取城について、兵糧攻めのイメージが強かったけれど、今回の講義を聞いて、徳川将軍家とのつながりが思っていたよりも深くて、城としても良いものだったのだと分かりました。通学路で毎日擬宝珠橋は目にしていたので橋桁の下が囲まれている理由が分かり、そんな深い意味があったんだなと驚きました。

