弓道部の紹介

運動部年間活動計画(弓道部) .pdf
弓道部は毎日楽しく練習をしています!

全員が高校から弓道を始めたひとばかりの部です!! 

皆が同じスタートラインから始めることが出来ます! 

後は、己との闘いです!

興味のある人は気軽に見学に来てください!

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日誌

【弓道部】岐阜全国選抜

2021年1月8日 10時00分

12月25日~26日に岐阜県岐阜市の岐阜メモリアルセンターで愛ドームで
第39回全国高等学校弓道選抜大会がありました。

今年は新型コロナ感染拡大予防のため、各種対策を講じたうえで団体戦のみの大会となりました。
倉吉西からは、女子団体が出場しました。

25日は、団体予選です。
各チーム12射して、上位16チームが決勝トーナメント進出です。
今年は各チームの滞在時間を減らすために、立順で会場入りの時間を指定、
予選を引き終えたチームは速やかに会場から退出、
16位が複数あっても競射はせず、すべて通過となります。
つまり、決勝トーナメントは16の山とは限りません。
増えた分だけ、立順の後ろの方に山が追加されるシステムです。
そして予選順位でのシードはありませんので、1位で通過しても1回戦増える可能性があります。
また決勝トーナメント抽選も大会役員が行い、ネットでその結果を確認という方式となりました。

倉吉西は、予選立順15番です。
女子前半となるので、12時30分から入場可となります。それに合わせて会場入りです。
受付で手指消毒液、アルコール除菌シートを貰い、控室へ。
控室はガラガラです。巨大送風機で常時換気されています。
巻藁を済ませて、予定通り13時20分ごろに招集場所へ。



選手監督引率者以外は入れない無観客試合です。

倉吉西は、予選12射皆中で予選を1位で通過。
結局、女子団体は7中が16位タイとなり、合計19チームが通過。
よって、「立順14~19は1回勝ってベスト16」というトーナメント表となります。
抽選の結果、立順は「3番」。ということは、通常どおりの対戦数エリアです。
対戦相手は 豊田西(愛知)と決定しました。

26日は決勝トーナメントです。
時間短縮のため、例年トーナメントは2射場で進行しますが、
今年は4射場で行い、2つの試合を同時に行います。
倉吉西は抽選により2回戦からスタートです。

2回戦
倉吉西 9-7 豊田西(愛知)

準々決勝
土佐女子(高知)6-7 倉吉西

準決
倉吉西 9-7 網走南ヶ丘(北海道)

決勝

倉吉西 7
-11 秀岳館(熊本)

ということで、準優勝となりました。




絵文字:良くできました OK試合結果絵文字:良くできました OK
女子団体
準優勝(川口瑞歩、宮川和夏、西古愛唯、松原ひなた)

コロナ禍で、どのチームも満足いく練習は出来ていなかったことでしょう。
練習量も確保できず、また試合もほぼ中止。
インターハイも国体も中止で、先輩は無念の引退となりました。
比較的感染者の少ない鳥取県でさえ、
今年度は中国選手権予選、県総体、中国選手権、中国新人大会が中止となり
今回出場しているメンバーも、リモートを除いてまともに試合をしたのは
新人戦兼全国選抜鳥取県予選のみです。
例年なら、県外遠征を行い、地区大会で経験を積み、県大会で出場権獲得、
中国大会でさらに経験値を積んで全国大会となるところが、
今年はいきなりの全国大会です。
なんとかピークをココに!と調整して挑んで、予選は12射皆中。えらい!絵文字:良くできました OK
トーナメントでは苦しい場面もありましたが、それでも競り勝って決勝へ。
最後は残念ながら1歩及ばず日本一には届きませんでしたが
結果は準優勝!おめでとう!

このような状況の中、大会を開催していただいたことを、大変感謝しております。
この大会が無ければ、今年は本当に何も無い年になるところでした。
ありがとうございました。
また、保護者の方をはじめネット中継を通じてたくさんの方に応援していただきました。
ありがとうございました。

今回の準優勝が自信となって悔しさとなって、次のインターハイ優勝への原動力としましょう。
悔しさをバネに!
日本一目指して頑張りましょう!絵文字:晴れ

弓道場

新弓道場完成

2015年10月16日 07時41分

いよいよ新弓道場の完成です!

白壁土蔵のような「和」のたたずまい

防風壁も出来ました。これでビル風が無くなる事を祈ります。

射場正面より

的場です。

巻藁コーナー!

射場の内部です。広いですね!!

射手間隔も広く取れるようになりました。
「道場開き」
仮設から引越しの9月6日は、テスト期間で部活時間が制限されていました。
限られた時間の中で、引越しを済ませて
まずは監督の矢渡しです。この道場の記念すべき1本目と2本目。
責任重大です。緊張の一瞬!

安心しました!

その後、部員全員で一手祝射を行い、道場の完成を祝いました。
日程上、大々的な完成式典などが行えず、
また生徒も引越し作業後の普段着での道場開きとなりました。
道場建設にあたり、多くの方にご尽力いただき感謝申し上げます。
立派な道場に負けないように、更にこれからも精進いたします。

建築作業中

2015年10月14日 07時41分



いよいよ壁も出来てきました。

サイドはこんな感じ。

射場前面はこんな感じ。



防風壁や的場も形になってきました。

上棟

2015年7月6日 13時44分

更地になった土地に基礎が出来ました。木材も続々搬入!

いよいよ上棟です。足場を組んで

さぁ、組み立て開始!

仮設弓道場から見るとこんな感じです。柱が立ち始めました。




みるみる骨組みが出来上がっていきます。

仮設弓道場からも、その姿がはっきりと見えるようになりました。

垂木が張られて

屋根が完成!想像以上にデカイ!!

仮設弓道場

2015年6月8日 08時18分

いよいよ解体されてしまった弓道場。
弓道場が無くなったからといっても、1日たりとも練習を休むわけにはいきません。
試合シーズン真っ只中です。そして新入生も練習をしなければいけません。
倉吉市やその近郊には弓道場は無く、一番近い道場でも50kmほどの距離があります。
どうやっても「校外の施設で練習は出来ない」ということで
特別に工事期間中は校内の駐車場の一部に単管パイプで仮設弓道場を建設してもらい、
そこで練習をしています。
それが、今回ご紹介する倉吉西高仮設弓道場!

コチラが射場で

コチラが的場です。

強度上の問題で、的場の前にはパイプ有りです。
かなり酷な場所にパイプがあるので、協議をしましたが変更不可とのこと。
ならば仕方ない、コレでいきましょう!
しかし、パイプをよけて的を立てるとなると、的の間隔を狭くするしかありません。
インターハイは5人立ち、やっぱり6的は欲しい絵文字:会議
いろいろ考えた結果、狭いところで的間隔は90cmしか取れない。
公式規則の半分です絵文字:困った 冷汗。でも仕方ない。
パイプに巻いてある緑色のクッションカバーでは矢の破損は防げないので
的の高さまで砂袋を積んで対応。

当然射場側にもパイプがあり、オマケに目の前には電柱もある。

これだけ狭いと座射がキツイですね。
しかし練習できるということは、とてもありがたい事です絵文字:笑顔
事故の無いように気をつけて練習頑張ります絵文字:晴れ

弓道場解体作業

2015年5月12日 11時56分

いよいよ解体作業開始です。

バックホウが入って

屋根を剥がして

柱も解体

思い入れのある道場が、こうして解体されていく姿は心が痛みます。

的場も解体

立派に育った木々も
きき
伐採されて根っこも掘り起こし

どんどん更地へと変化していきます。

すべて撤去し終わって

更地になりました。

弓道場解体へ向けて片付け

2015年5月12日 11時40分

5月7日から解体作業が始まる弓道場。



ワイワイ賑やかで、賞状や大会の旗が貼られて

汗と涙と笑顔の思い出がいっぱい詰まった

思い入れのある

弓道場とお別れの時です。

GW最終日、明日からはもうこの道場に立ち入る事ができません。
いよいよ引越し作業です。
みんなで荷物を運び出すと、

こんなにスッキリして

ガラーンとしてしまいました。さみしいですね。道場ってこんなに広かったんだ。

この景色も見納めです。

ココで練習するのも今日で最後。残った時間で、この道場で最後の練習だ!

弓道場の歴史 建て替えの経緯

2015年4月20日 14時50分

1983年(昭和58年)3月に現在の場所に弓道場が新設されました。
それと同じくして、弓道部が同好会として発足。
1985年(昭和60年)には部に昇格し、進藤康文先生を師範として迎えます。
そして現在に至るまで、この弓道場で練習をしてまいりましたが、
2008年(平成20年)9月、すぐ隣に2階建ての新体育館(夢きらアリーナ)が完成すると
年間を通してビル風が発生し、練習に影響が出始めました。
特に冬場は、矢が風に流され真っ直ぐ飛ばないほどの暴風が吹き荒れ、
防風壁の設置が望まれました。
その後、県と検討協議を重ねた結果、道場自体の老朽化も目立つ事から
防風壁を含めた改築計画が出され、今年度新たに建て直すことになりました。
現在の弓道場は4月末日まで使用し、5月より解体、9月には新弓道場が完成する予定です。
ココでは随時、弓道場の様子をお伝えしていく予定です。
第1回目は現在の弓道場が建築されたときの様子をお届けします。

コチラが1983年2月に、現在の弓道場が建築される前の状態です。


鉄骨が組まれて、道場の形が出来てきました。


そして、これが完成直後の様子です。
ココから倉吉西高弓道部の歴史は始まりました。