学校長日誌

創立138年 創立記念日に寄せて

2023年6月5日 17時20分

 明治14年8月久米郡倉吉町東町の大岳院にて、山桝直好氏・山桝友蔵氏によって、鳥取県下初の産声を上げた公立久米河村農学校に始まる。明治18年(1885)6月5日、農学校は県立に移管され、初代校長唯武連氏であった。建学の精神(開拓精神)は当時から大谷原野の開墾に注がれ明治20年11月に現在の地に校舎が移転した。

 明治23年に県立農学校と改称し、獣医科が設置され、藍、タバコ、養蚕などの専修科もおかれたが、卒業生は少なく明治28年3月県議会にて農学校廃止が議決された。当時の県議会議長山瀬幸人氏が農学校存続に全精力を傾け、議長を辞任して校長事務嘱託となり本校の発展に寄与された。この時期、除草機の太一車を発明した中井太一郎氏がいる。明治34年に山瀬校長の創案で現行の月星校章が制定された。月と星は、「あしたに星をいただき、夕べに月を踏んで帰る」という勤勉を表したもので、農業(Agriculture)のAを表象化している。また、同年、小松宮彰仁親王が来県され「國本」の親書を与えられ、これを銘とした。

 倉吉農業高校の発足当時の状況は前述したとおりだが、現在も、「國本」「進徳修業」は校是として学校の柱となっている。本校は農業経営者育成を目指すことのみならず、持続可能な地域社会・産業界に有能な人材を輩出し続けると共に、農業・林業・造園業・建設業・食品関連産業・販売業・運送業など幅広い職種への就職、4年生大学への進学、短大・農業大学校等への進学、卒業後の地元就職へと地域に根差した教育を実践しています。

 令和7年の創立140周年に向けて、探究学習・農業クラブ活動をさらに推進し、農業クラブ活動・部活動の振興、県外生徒募集の推進で更なる発展を目指します。

 本日は、創立記念日の行事として「人生を考える講演会」を実施しました。講師には5年ぶりに岸田ひろ実さんにオンラインで講演をいただきました。みんなと一緒にいるために、挨拶・ルールを守ること・清潔にすること、他の人と違うことを恐れない、何を言っているのかではなく、何で言っているのか耳と目を傾ける。バイアスを見直す良いチャンスとなったようです。倉吉農業高校は140年に向けて、進化し続けます。どうかご期待ください。

【校長室】ご挨拶

2022年4月7日 15時55分

 4月 「ご挨拶」 
 本校の教育目標は「農業教育をはじめとして、あらゆる教育の場において豊かな感性を育て、基礎基本を大切にして知の習得に努め、自らの可能性を信じて、不断の努力を惜しまない生徒の育成を図るとともに、地域社会に貢献できる人材を育成する」であり、令和4・5年度は、地域連携と県外生徒募集の重点校となっています。

 農業「を」学ぶ学校として本校を見ている方は多いですが、ぜひ、農業「で」世の中を良くしていく術(すべ)を学んでほしいと話をしています。

 今年度も、「時を守り、場を清め、礼をただす」を実践していきます。
「時を守り」とは、時間が始まるまでに準備を行うということです。また、期日・期限を守るということです。
「場を清め」とは、5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)5K(気づく・(素直な)心・謙虚・感動・感謝)を磨くことです。
「礼をただす」とは自ら挨拶をする。返事をする。ということです。他者と協力し、相手を尊敬して、自分の思い込みバイアスを見直し、何事も、チームワークで、取り組んでもらいたいと思います。

 新型コロナウイルス感染症は未だ収束の状況ではありませんが、コロナに対応した感染症対策を行い、学びを止めない教育活動を実践して参りますので、引き続き皆様方のご支援ご協力を宜しくお願いします。

   倉吉農業高校 第40代校長 竹内善一

校長室より (ご挨拶)

2019年10月31日 16時43分


 

 倉農(そうのう)のホームページにアクセスしていただき、ありがとうございます。

本校は、明治18年に開校し今年で創立134年を迎えました。数々の先輩達が巣立ったこの学び舎は今も当時の面影を残しつつ、時代と共に変化を遂げてきました。緑に囲まれた23haの校地にはヒマラヤ杉をはじめ千本以上の木々が生い茂っています。
 生徒達は、この恵まれた環境の中で校是「國本」「進徳修業」のもと日々勉学に部活動に寮生活に取り組んでいます。農業を学び農業で学ぶ、農業を通して様々な生命からその尊さを実感し、そしてその生命に生かされていることを知り、生徒達は逞しく育っています。

学科
「生物科」・・・畜産コース、園芸コース
「食品科」・・・食品コース、流通コース
「環境科」・・・森林・土木設計コース、フラワー・ガーデンコース

3学科で構成されており、教育目標として、農業教育をはじめとして、あらゆる教育の場において豊かな感性を育て、基礎基本を大切にして知の修得に努め、自らの可能性を信じて不断の努力を惜しまない生徒の育成を図るとともに、地域社会に貢献できる人材の育成を目指しています。


『目指す学校の姿』
・入学したい学校。入学してよかった学校。未来につながる学校。
・地域から愛される学校(「この地に倉農があってよかった」と言われる学校に)


倉吉農業高校のミッション
~農業生産から農業をベースにした食料、環境、福祉まで~
①  鳥取県の農業を支える将来のスペシャリストを育成すること
②  「地域」を支える人材を育成すること
③  地域への発信、地域の拠点となること
④  地域環境の保全、地域文化の継承をしていくこと


今年度の重点目標
① 基礎・基本の定着と学力の向上
② 基本的生活習慣の確立
③ 地域連携と特色ある教育活動
④ 進路意識の向上と進路保障
⑤ コミュニケーション能力の向上
⑥ 業務改善の取組


鳥取県立倉吉農業高等学校 
第39代校長 河本 達志

【校長室】校長室から 48 (最後の挨拶)

2019年3月29日 15時50分

太子が丘の桜がほころびはじめ、新しくなった「まず健康」の標柱がますます映えるようになってきました。やがて満開になり、新しい仲間や生徒たちを迎える準備が整いつつあります。
3月29日、いよいよこの日がやってきました。正式には3月31日ですが、3月末は土日となるため、学校に勤務するのは今日が最終日です。今日の午前中に山本県教育長から退職の辞令をいただいてきました。5年間の校長としてのつとめが終わります。

この5年を振り返ると、本当に多くのことがありました。
平成27年11月11日には創立130周年の記念式典を倉吉未来中心で挙行し、多くのみなさまにおいでいただき盛大な式典になりました。平成28年10月21日14時7分には震度6弱の大きな地震に見舞われ、校舎に大きな被害を受け、生徒たちはグラウンドに全員が緊急避難しました。すべての生徒を自宅に見送ったのは午後9時を回っていました。余震が続くなか、歴史上初めて祥雲寮を完全に閉鎖し、生徒たちを迎えるまで5日間ほど要しました。図書館の本はすべて書棚から飛び出し、また理科室では実験器具が散乱していました。教務室や事務室、校長室も同様です。そこまでの被害でしたが、学校を休校にしたのはわずかに一日。全職員の力と、ボランティアで学校に駆けつけてくれた生徒や保護者のおかげです。「チーム倉農」の力が発揮された瞬間でした。

この欄では書き切れないほど、たくさんの出来事がありました。そのなかでも特に校長として感じたのは、本校の生徒たちの成長ぶりです。本校では本格的な農業実習を行います。実習は、校内はもとより校外に出かけた実習も数多く体験します。また寮では集団での生活を経験します。他の学校では決してできないことが本校では普通にあり、そのひとつひとつが生徒たちをしっかり成長させています。その活動が報道で数多く取り上げられ、生徒たちの自信につながってきました。また、みなさんからはたくさんの感謝の言葉もいただき、生徒たちの自己肯定感を育んでいます。
授業改革に取り組み続けた結果、今では生徒たちの授業に取り組む姿勢が、明らかに以前より変わってきました。「わかる喜び、できる楽しさ」を感じられる授業づくりのために、先生方も生徒たちのために一所懸命です。
おかげで倉吉農業高校は変わってきたという声をたくさんいただくようになりました。「チーム倉農」で、全教職員で取り組んできた成果だと思います。

私の後任には河本教頭先生に昇任いただきます。5年間にわたり一緒に汗して学校づくりに取り組んできた教頭先生に次の校長になっていただくことは、私にとっては最高の喜びです。さらに学校を魅力のあるものにしていただけると思います。

「國本」という本校の校旗に刻まれた言葉のとおり、農業ほど大切な産業はありませんし、農業の担い手を育てることはもちろん、農業をとおして生徒たちを大きく成長させることができます。倉吉農業高等学校はキラリと光る学校として、今後も鳥取県教育の一翼をしっかり担っていきます。

終わりになりましたが、これまで多くのご声援をいただき、多大なご支援いただいた数多くのみなさまに感謝申し上げ、今後も倉吉農業高等学校のために力を貸していただくことをお願いして、私の最後の挨拶とさせていただきます。本当にありがとうございました。
そして、さようなら。

【校長室】 校長室から 47  (最後の終業式)

2019年3月22日 15時00分

平成31年3月22日(金)、平成30年度の終業式を行いました。
終業式では初めて校歌を4番まで歌いましたが、生徒全員が大きな声で歌うことができました。かつてなかったことですが、今では見事な校歌斉唱になっています。昭和の初めにつくられた河本緑石先生の校歌はしっかりと後輩たちに歌い継がれています。
式辞では、この一年を振り返り、生徒たちの活躍をたたえ、1,2年生も新たな歴史を作ってほしいという言葉を贈りました。
離任式では8名の先生を送りました。ともにこの学校を支えていただいた先生方です。一言一言の重たい言葉を聞き洩らさまいと、生徒たちは真剣に聞いていました。本当に素晴らしい生徒たちです。
そして私自身の退任式となりました。何とか涙をこらえようとしましたが無理でした。この前の卒業式から私の涙腺はゆるみっぱなしです。
私は人生の半分の30年を倉吉農業高校のために働いてきました。私は倉吉農業高校が大好きです。その大好きな倉吉農業高校に入学したいと目指してくれた生徒たちが大好きです。その生徒たちが真剣に私のほうを見ている姿に、涙があふれて止まりませんでした。
そのあと校長室に帰っていたら、教頭先生から写真を撮るので体育館に来てほしいと依頼がありました。さっき写真は撮ったのになぁと思いながら体育館の扉を開けると、なんとステージには生徒全員と先生方の姿が…。僕の人生で最大のサプライズでした。目に飛び込んできた光景は一生忘れることはないと思います。みなさんの拍手で迎えられながら、全員で記念写真を撮りました。涙があふれてきました。誰もいなければきっと大泣きをしていたことだろうと思います。心の中はどしゃぶりでした。
本当に素晴らしい生徒たちや先生方に恵まれた校長生活でした。至らぬところも多かったろうに、みなさんに支えられながら5年の任期を終えました。次の校長先生が、さらに魅力的な倉吉農業高校にしてくれると思います。
みなさん、本当にありがとうございました。

【校長室】 校長室から 46 (私の最後の卒業式)

2019年3月3日 14時16分

3月1日金曜日、朝から晴れ渡った青空のもと、平成最後の卒業式を挙行しました。卒業生は全部で75人。そう多くはないのですが、とても心のこもった卒業式でした。式には山本仁志県教育長にもご参列いただきました。今年度は何度も生徒を連れて県庁を訪問させていただき、生徒へのねぎらいや激励の言葉をいただきました。卒業生たちは喜んだろうと思います。
そして、この3月末で退職を迎える私にとっては最後の卒業式です。各科の代表生徒への証書の読み上げのときには涙声になりそうでした。そのあと、ひとりひとりに卒業証書を渡しましたが、みんながとても素敵な笑顔を見せてくれました。最高の笑顔です。いつまでもこの笑顔を忘れないでほしいと思います。
私の式辞の後、本校同窓会進修会吉田会長からの祝辞の最後に、私のことに触れていただき、38年にわたる労苦をねぎらって皆さんで拍手を贈りましょうと、会場全体から拍手をいただきました。そのときには涙があふれそうでした。
卒業生代表の答辞では、「倉吉農業高校で学んでいることは社会に役立つことである」、「この学校で先生方に出会わなければここまで成長することはできなかった」など、多くの感謝の言葉をいただきました。そして「短い高校生活で自分を磨いてほしい」と後輩たちへのエールもありました。心のこもった答辞でした。
式辞でも触れましたが、倉吉農業高校は日本一の農業高校だと言えるようになりました。今ではとても勢いのある学校だと思っています。これも生徒たちのおかげ、先生方のおかげだと感謝しています。

30卒業式式辞.pdf

【校長室】 校長室から 45 (校長室のクマ)

2019年2月21日 16時55分

校長室にはクマがいます。もちろん僕のことではありません。
北海道鶴居村から平成元年に贈られたもので、30年間ここで生活をしています。その間に校長は8人入れ替わっていますが、クマはずっといます。僕も校長が5年になりましたが、いつも校長室でクマと二人(?)きりです。
あえて入り口に顔を向けているので、入ってこられたお客さんがびっくりされます。たまに悲鳴を上げれる方もいますが、すぐに仲良くなられます。かつて幼稚園の子どもたちが来たことがありますが、何人もクマに抱きついて遊んでいました。愛嬌もあるようです。牙や爪は恐ろしいものがありますが。
あえて写真を載せません。ぜひ校長室においでください。クマと一緒にお待ちしています。

【校長室】 校長室から 44 (卒寮式)

2019年2月4日 13時21分

去る1月30日、祥雲寮で今年度の卒寮式が行われました。やがて寮の方からこのホームページ上で詳しい紹介があると思いますが、卒寮した生徒は全部で21名です。祥雲寮を立派にリードしてくれた3年生でした。心から祝福したいと思います。

卒寮式を始めたのは、僕が舎監長2年目の平成19年度からです。それまでは「退寮式」と言っていました。それが今では謝恩会という形で残っていますが、3年生だけでひっそりと行っていました。なんとなく「退寮」という言葉に引っ掛かったのと、3年生だけでなく寮生全員でお祝いしたいと思い、「卒寮式」という言葉を新たに作って生徒に提案したのですが、最初の年は生徒が承諾してくれませんでした。
それから10年以上の月日が経過しましたが、毎年のようにグレードアップして、今では卒業式に匹敵するくらいの大きな寮の行事に育っています。保護者のみなさんも全員に参加いただきました。僕以降の舎監長が見事に育ててくれました。

このたびの卒寮式も感動的でした。なかでも卒寮生全員がひとりひとり答辞を言うところがあるのですが、涙ながらに感謝の言葉を述べる生徒もいます。何度か目頭を熱くしました。今年は最後の生徒があいさつの最後に、「歌を歌います」と言い出し、「旅立ちの日に」の独唱が始まったかと思えば、他の3年生が次々と立ち上がり、最後には立派な合唱になりました。後で聞けばずいぶん練習を重ねていたのだとか。今までの卒寮式にはなかった初めてのサプライズです。涙がこぼれそうになりました。最後まで素晴らしい3年生でした。その姿はきっと後輩たちに引き継がれていくと思います。

【校長室】 校長室から 43 (謹賀新年)

2019年1月10日 15時35分

あけましておめでとうございます。
平成最後の正月を健やかにお迎えのことと思います。
私自身は亥年の生まれで、今年は年男です。生まれた年を含めると6度目。多くなりましたね。
年末年始には、中部地区の中学校を訪問してきました。各中学校の玄関には年末に本校の環境科の生徒たちが設置した門松が飾られていました。どの校長先生からも感謝のお言葉をいただきましたが、本校の生徒たちにとっても、自分たちを育ててくれた中学校への恩返しの気持ちで制作し、心を込めて持って行かせていただいたものです。それぞれの中学校で新年を本校の門松とともに迎えていただき感謝しています。また倉吉市役所にも門松を持って行って設置しました。市長さんから感謝状をいただきました。倉吉駅からも感謝状をいただけるようです。地域のみなさんとともに倉吉農業高校はあると思っています。
今年がみなさんにとっていい年になりますように。

さて、今年も何人かの生徒たちが寮で正月を迎えました。大みそかの日には舎監長をはじめ3人の職員が当直をしました。もちろん厨房の方も元旦の早朝から食事の準備をしていただいています。正月といえども通常どおりです。動物には正月がありませんから。
正月に農場当番にあたるのは、順番に回ってきた生徒たちですが、誰ひとり不平や不満を言う生徒もなく、しっかりと与えられた仕事をこなしています。そんな高校生が県内に他にいましょうか。僕の自慢の生徒たちです。

【校長室】校長室から 42 (終業式です)

2018年12月20日 13時00分

今年の漢字は「災」という字でした。今年を振り返ってみると、確かに度重なる災害に見舞われたように思います。鳥取県でも大雨特別警報が発令されたり、隣の島根県では震度5強の地震があったりと、身近でも多くの災害がありました。幾度となく台風がやってきました。「災い転じて福となす」という言葉もあります。来年は災害のない幸せな年になってほしいものだと願っています。

いよいよ2学期の終業式を迎えました。
最近は「平成最後の」という言葉をよく目や耳にしますが、これを借りれば「平成最後の」2学期終業式です。来年の5月には改元を迎えますが、新しい年、新しいステージ、そして新たな未来に向かっているような年の瀬を迎えています。

今年も数多くの生徒たちの活動が新聞やテレビで連日のように報道されました。見ていただいた方も多かっただろうと思います。いろいろな生徒の活躍は今の本校の勢いだと思っています。これらは先生が与えたものでなく、生徒自らが率先して取り組んだものです。だから報道が取材に来ても、何らものおじすることなく、その姿勢は堂々としたものです。もしかしたら我々よりも堂々としているかもしれません。
そして今日は終業式の前に表彰伝達式を行いました。表彰のあまりの多さにかなりの時間を費やしましたが、ひとつひとつの表彰状の後ろには生徒たちの努力の汗があります。全校生徒たちがひとつひとつの表彰に拍手を送っていました。気持ちのいい表彰伝達式でした。
明日は金賞を受賞したお米を持って、食品科の生徒5人と一緒に平井知事と山本県教育長を表敬訪問します。これも生徒たちの努力のたまものです。

「私の自慢は生徒たちです」と、校長になってからいろんなところで話しをしています。校長として5年目になりました。言い続けることでそれが現実になっているのを感じています。

それでは、みなさま、よいお年をお迎えください。
新しい年が輝ける未来の新たなスタートになりますように。